わがまま
カシャン、と小さな音を立てて彼女が持っていたボールペンが床に落ちる。心なしか震えている指先はペンを拾おうとせずにゆっくりと拳を作った。
ふふ、と口元から笑みがこぼれていて哀しそうに頬を緩ませる。その頬には一筋の涙が伝う。
「……ごめんなぁ、……ごめん、な」
言葉にするのがやっとのように一言、一言大事そうに切なそうに言う。
それと同時に涙がぶわっと溢れだす。彼女は膝を曲げゆっくりと地面に手をついた。落としたボールペンが手元に触れてまた、彼女は拳を作った。
――このペンは4人の絆の証やで!
いつしか自分が言った言葉を思い出す。忘れたことなんてない、あの頃。
学園を卒業してバラバラになる仲間と一番大好きだった好きな人、そして自分で最後に寄った店。そこは何の変哲もないただの文房具屋だったけど、それで充分だった。
4人で同じボールペンを買って、離れ間際に自分が言った言葉。……絆の証。
「このペンは、うちには必要ないんや……」
そう自分に言い聞かせて、無造作に立ち上がる。
肩につくかつかないか位の短い髪がはらはらと揺れる。栗色の髪からはシャンプーの香りが漂っている。
あの頃とは髪の長さも変わり、瞳には光なんて宿ってなくてふらふらとした足取りからは細くなったと感じられる。
彼女はゆっくりと玄関に向けて歩き出した。
「……そう、だ」
向かっていた方向を変え、リビングに向かう。机の上にあった写真立てから写真を出す。
卒業した時に4人でとった最後の写真。あんなに小さかった自分たちが、当たり前のように高等部の制服が似合っている姿に涙目になりながら微笑した。
そしてその写真を両手で持ち、迷い迷いもびりっと破く。
縦に、横に、そしてまた縦に破き。小さな欠片となった写真はひらひらと宙を舞い、音を立てずに床に落ちた。
電気は消してあり、カーテンも締め切っているこの部屋は暗い。たまにカーテンが揺らめいて差し込む夕陽が眩しい。
「蛍、ルカぴょん……、っ……なつ……め」
最後に一度くらい、逢いたかったなあ……と呟くと、近くでにゃあにゃあと鳴く声がした。
振り返ると少し前に拾ってきた黒猫が寂しそうにこちらを見ている。この黒猫に棗の面影を感じて拾わずにはいれなかった。
赤いリボンを首に巻いた黒猫は頭を彼女の足元にすりつけて、にゃあにゃあと鳴いている。
「あんたも……うちと一緒に来る?」
頭を撫でながらそう笑いかけてみると、黒猫はにゃあと鳴きながら嬉しそうに彼女の足元を回っている。
抱っこして自分と同じ目線に持ち上げて、彼女は微笑んだ。
「まだ名前決めてなかったな。……なつめ、なんてどうや?」
にゃあ! と黒猫が鳴く姿を見て、彼女はまた涙を流した。
「じゃあ今日からあんたは……っ、なつめやで……っ」
――っ、と彼女が嗚咽しながらなつめを下ろす。
彼女は鞄を持ち、書いておいた手紙をそっと机の上に置いて涙を拭う。拭っても拭っても出てくる涙に呆れながらも置いた手紙に触れた。
愛おしそうに手紙に触れる。
「――ばいばい、」
そう言い残すとなつめを抱っこして、靴を履き、部屋を後にした。
◇
「……嘘、でしょう?」
彼女が部屋を出て3日後の事だった。
彼女の親友である女性が彼女のマンションの部屋を訪ねて、鍵がかかってないことに不審に思い部屋に上がったのだ。
そして暗すぎる部屋に驚きつつも、二人に電話をかけた。
写真に写っていた黒髪の男性と金髪の男性が部屋に上がって立ち尽くしている。
「……んで?なんでよっ!蜜柑、どうして……?」
女性の泣き喚く声が静寂を破る。
金髪の男性が女性の傍に行き、肩に優しく触れている。触れられた肩も、触れている手も震えている。
「――これって」
口を結んだまま開かなかった黒髪の男性が口を開いた。手には机に置かれた手紙を持って。
そして書かれた文字をそのままゆっくり読み上げる。
女性は肩を震わせながら、男性はその肩にゆっくり触れながらその声を聞く。
――さよなら、みんな。一番最後の、最後のうちのわがままや。
最後のわがままやから、聞いてください。うちはみんなと『さよなら』します。
別に死のうとかそういうのやのうて、ただ、遠くへ行きます。きっと、いつか戻ってきます。
その日を、待ってて欲しい。 蜜柑――
「……っ、馬鹿じゃないのっ?あの子の出す答えはいつも、……勝手すぎるのよ!」
女性は近くにあった花瓶を机から落とす。花瓶のガラスの欠片が四方八方に散らばり、生けてあった花々は水と一緒に床にこぼれる。
床を見て三人がはっと息を飲む。
「このペンって4人で買ったやつよね……?この写真の欠片も4人で撮った……」
泣きながらそういうと愛おしそうにペンを拾い上げ、指でそっとペンを包み込んだ。
「佐倉は勝手すぎるよ……っ。残された身を考えて欲しいよね……」
「でも、それでも……、――あいつは帰ってくると戻ってくると」
「それを信じましょう。……あの子がいつ帰ってきても私達が笑顔で迎えられるように」
そう女性が言い残すと、それからは誰も一言も話さずに音を立てずに一人ずつ帰っていった。
『きっと戻ってくる』と、そう信じながら
2010/06/12 up...
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